龍明塾コラム

ここはあくまでもコラムです。高い理想を自由に言いたい放題で、実際の指導とは異なることもあるかもしれません。しかし、このコラムの中に龍明塾が始まったきっかけや、進んでいる方向を知れると思います。まだ見ぬ現実をおもいっきり語ります。

人として

武の精神よりも大切なもの
武道と言えば、生徒の親は精神的な強さや協調性が身に付くことを期待して道場に入門させると思いますが、龍明塾は管理教育ではありません。力や脅しで指示して何かをやらせて結果として身に付くという考え方ではありません。力や脅しでは、子供たちはその場しのぎの知恵を身につけさせるだけです。怖い環境では大人しく振る舞っても違う環境に行けば、元通りに戻ってしまうのです。それでは身に付くとは言えないのです。武道をやるものにとって精神なくして技術が先行した場合、その人の技術はただの暴力の技術にすぎないのです。

人は皆、神の子
人は皆、神の子です。神の子とは一人一人が絶対的な価値を持ち、宇宙どこを探しても二人といないのが個人です。お釈迦様の言葉を借りれば天上天下唯我独尊です。自分の家族だけが大切なのではなく、全世界の人が掛け替えのない大切な存在なのです。隣の人を自分の家族のように大切なことを知らなければならないし、自分自身もそのような人格者を目指しています。もちろんこの境地に入るのは簡単ではありません。生活をしながら人を愛し、気持ちを共有しながら人は心の成長をしていきます。

人は愛されることよりも、愛することにより大きな喜びを感じる
子供の頃は、人生青春時代が一番熱く、大人になってからは残りの人生を消化するだけと勝手に想像していました。しかし40を過ぎた今が人生で一番克服感を感じています。自分の家族、そして道場の生徒達、愛する対象が存在しています。子供の頃、親や親戚から愛されて楽しい思い出もたくさんありますが、今の喜び、幸福感は全く比較になりません。
脳科学者の松本元先生は、愛されることよりも愛することに脳はより大きな喜びを感じるようにできていると言及しています。つまり、脳の構造上、愛されたいと思う経路よりも、愛したいと思う経路の方がより上位にあるというのです。そして愛された経験の無い人は、愛する経路が生成されないのです。つまり愛されていない人は人を愛することは出来ないです。

では、恋愛感情は?
思春期を越えれば大人を含めて誰でも恋愛感情を持つようになります。しかし恋愛とは「愛すること」の能動的な愛でしょうか?ほとんどの場合、「愛されたい」の受動的な愛、または欲望にすぎないのです。もちろん人間にとって必要不可欠なものですが、結婚し子供を持った人が恋愛感情を持つことには気をつけなければなりません。不倫とはまさに倫理に反することであり、その延長には幸福はなく、大切な人を不幸に陥れるのです。

武道の話に戻りますが、
生命は自分の意志で誕生したのではなく、生かされている自分をわからなければなりません。常に自分を大切に見守っている人がいることを自覚し、好き勝手に生きることに幸せはないことを知らなければなりません。大切な自分を守るために、そして大切な人を守るために武道を鍛錬します。指導者から礼儀作法や協調性は強制的にやらされるのではなく、自ら進んで行うことが結果として身に付くのです。
また、不倫、暴力、〇〇依存など悪い思いを絶つために行うもの武道の役割です。